米国との関係 (べいこくとのかんけい)

日米同盟は日本の安全保障の柱であり、現状でこれに代わるものはない。

しかしながら、米国の国際社会における立場が変わり、日本の企業が米国からほかの諸国にシフトするなかで、

米国との関係強化だけを盲目的に志向するのは明らかに間違いである。

だからと言って、日米同盟は厳然としたもので、これに背を向け、急激にハンドルを切ることはできない。

日本が怠ってきたのは、米国との関係以外にいかなる選択肢があるかを国益の観点から常に考えることである。

2003年のイラク戦争の際、かつての米国の盟友、ドイツとフランスはイラク戦争に「ノー」と言った。

しかし、日本には「ノー」という選択肢は存在しなかった。

冷戦は米国を唯一のスーパーパワーにした側面がある一方で、

東側が崩壊したのだから、西側のボスに米国を抱く必然的理由も消滅させた。

このような中でヨーロッパ諸国は連携を強め、EUを強化し、NATOの中での米国の存在感を徐々に薄め、

10年をかけて「ノー」と言う選択肢を得たのであった。

この選択肢が正しかったか否かではなく、欧州に選択肢があり、日本になかったという現実を看過してはならない。

日本では、サマーワへの派遣更新の際に小泉首相が演説の時間の半分を日米同盟の重要性に費やしたように、

イラク支援のはずがそれを米国重視にすり替える一方で、米国重視ありきの議論しかできない外務省が存在した。

外交専門家たちもときに批判と言う形で米国を食い物にしながらも、

結局日米同盟という枠組みがグローバル化の中で徐々に変化していることに目を向けず、

国際的変化に合わせた日本のあり方を建設的に議論してこなかったし、現在でも旧来の前提に安穏としている。

米国との距離感を大事にしながらも、日本の将来を真面目に考えるべき時が来ている。

日米同盟も、96年以前までの「米国は日本の安全を保証し、日本はそのための基地を提供する」という約束と、

その後の「国際社会における米国の政策を支援する」という政策をきちんと分けて議論し、

必要なこととそうでないことを国民に対してしっかりと説明していくことが必要ではないかと考えている。