11月30日、ヨルダンにおいてブッシュ米大統領がマーリキー・イラク首相と会談した。米中間選挙後、ブッシュ政権のイラク政策に焦点が当たる中で、この会談は注目された。しかし、この会談はある意味深長なものであったように思われる。
米中間選挙戦においては、ブッシュ政権のイラク政策に批判が集まり、中でも駐留米軍の撤退問題がしばしば取り上げられた。選挙を前にしてハリルザード駐イラク大使は、米軍撤退の前提となる暴力抑制のためのタイムテーブルに、マーリキー首相と合意したと述べたが、マーリキー首相は、中間選挙選に向けた政治的発言にすぎないとしてこの合意を否定した。この後、ブッシュ政権関係者が撤退に向けたタイムテーブルを語ることはなかった。
このマーリキー発言に対する意趣返しではないだろうが、11月末になってニューヨーク・タイムズにリークされた記事では、マーリキー首相が語る美辞麗句とは裏腹に、彼は現実に起こっていることを承知していないか、意思を実行に移す能力がないというNSC顧問の書いたメモが中間選挙翌日の8日にブッシュ大統領に提出されことが明らかにされた。この記事を受けてホワイトハウスのスノー報道官は、このメモの意図はマーリキー首相を支援することにあると述べ、メモの存在を肯定した。
マーリキー首相批判とも取れるメモにとどまらず、ヨルダンでのブッシュ・マーリキー会談を前にして、米側から出てくるイラク政権に対する発言は否定的なものが多くなった。「イラク軍の訓練が必要である」、「米軍のコミットメントが永久のものでないことをイラクは知るべきである」、「イラク側は相応の責任を負うべきである」、「政権は民兵を許すべきではない」云々。
イラク国内においては、ブッシュ大統領との会談を行うマーリキー首相に対する風当たりが強くなった。米国内においてイラクの安定のためには隣国の関与が必要であるとの声が高まる一方で米政府の苦戦を睨みつつ、イラクとの連携を強調し始めたイランと関係が深いサドル勢力は、イラクの治安が不安定化しているのは米軍に責任があり、マーリキー首相はその米軍と対話すべきではないと主張し、政府との協調を拒否し、国会をボイコットする等の措置に出た。マーリキー首相の権力基盤であるサドル勢力との協調がないがしろにされれば、政権の権威がますます希薄になるのは必至である。さらに、ダーリー代表に対しイラク内務省から逮捕状が出ているスンニー派のアンブレラ組織であるムスリム法学者協会も、この会談を強く非難した。
このように四面楚歌の中でマーリキー首相はブッシュ大統領との会談に臨んだが、その前に予定されていたアブドゥッラー・ヨルダン国王とブッシュ大統領との三者会談は回避した。一説によれば、米・イラク関係に第三カ国が参加することをイラク政権は好んでいないとのことであったが、もしかすると、アラブ諸国の目の前で米国の「子分」に見られることを避けたかったのかもしれないし、あるいは、マーリキー首相は、「シーア派三日月地帯」などの発言で知られるアブドゥッラー国王を米と同列におきたくなかったのかもしれない。シーア派としてのアイデンティティに悩んだのかもしれないマーリキー首相はしかしながら、米国に対しては、中間選挙前と同様な強気で臨むことはできなかったようである。米国のイラク政権に対する圧力に配慮せざるを得なかったのであろうか。
まずマーリキー首相は、政権基盤の重要な一部をなすサドル勢力の要求までをも無視して、ブッシュ大統領との会談に臨んだ。しかしながらこれが、強固な民兵組織を擁するサドル勢力に対する確固たる立場につながるかは、現時点では不明である。
第二に、マーリキー首相は、果たすことが困難な約束を表明したように思われた。ブッシュ大統領との会談においてマーリキー首相は、イラク治安部隊に対する訓練を強化し、来年6月までにイラク側に治安権限委譲を全面的に完了し、米軍撤退の道筋を示すことを表明したのである。現在、イラク軍は112個大隊に達するが、米軍によれば、その内独自の作戦をこなしえるのは13個大隊に過ぎない。戦後3年以上をかけて13個大隊にしか十分な訓練を施せなかったのに、この後約半年で残りの約100個大隊の教育を行うのは、至難の業である。国内で苦戦するブッシュ大統領に対するリップ・サービスとしても、首相の発言は内外で一人歩きする傾向もあるところ、困難な約束の代償は高くつくかもしれない。
さらにマーリキー首相はABCテレビのインタビューに対し、「例外なく民兵を解体する」と約束したが、このこともきわめて困難であろう。マーリキー政権を支える政権内与党下の民兵組織、それに対抗する民兵組織の解体は、政府に能力と権威が欠如している中ではきわめて難しい。シーア派民兵を抑えきれずにスンニー派をはじめとする各方面から内務大臣に対する批判が上がる中で、マーリキー首相は内閣改造を予定しているが、内務省の能力の欠如、内務省内に巣食う民兵を排除できないために人事で目をそらすような政策を志向している政権の現状に鑑みれば、「例外ない民兵の解体」がいかに困難かが想像できよう。さらにクルド地区では、基本的に民兵により治安が維持されているところ、政権の影響力がほぼ及ばないこの地域の民兵組織が「例外」にならないとすれば、内戦を別の方向に向かわせるような政治的要因すら生まれるかもしれない。
このような「できない約束」まで行ったマーリキー首相に対するブッシュ政権の評価は、表向きとは異なり必ずしも高くないようである。イラク・米首脳会談の後、ブッシュ大統領はシーア派系のイラク・イスラーム革命最高評議会(SCIRI)党首のアブドゥ・ル=アジーズ・アル=ハキーム副大統領のおよびスンニー派系のイラク・イスラーム党のターレク・アル=ハーシミー副大統領と会談を行うことを予定している。国を代表する首相との会談では足らずに、各宗派を代表する指導者と個別に会談をしようというのである。そもそもハキーム副大統領は政権を主導するアンブレラ組織である統一イラク同盟(UIA)
内でのマーリキー首相のライバルであり、内務省内に強力な民兵組織を送り込んでおり、マーリキー首相が約束を果たすためには交渉せざるを得ない相手の一人である。マーリキー首相との会談では足らずに、このような相手と次々に会談を行うことが見込まれている。
ブッシュ大統領のアプローチは、マーリキー首相の指導力のなさを見越したもののようにも思われる。それどころか、あたかも内戦下の敵対する各勢力に対するアプローチを想起させるようにも思われるが、言いすぎであろうか。